酒鬼薔薇事件の加害者と被害者遺族

神戸連続児童殺傷事件の件がヤフーにのっていたのでこれについて考えてみた。
内容は端的にいうと、加害者が、殺人事件について書いた手記を出版し、この本の印税を賠償の一部としてあてたいと遺族に申し出たが、拒否されたというものだ。
正直、これはどっちの気持ちもわからないし、想像するのも難しい。
殺した方の人間は、なんというか怪物だ。中学生でいて、男児のクビの掻っ切って、生首を持ち歩き校門に置く。こんなことできるなんて、それはもう別の生き物なので、その心情は理解に苦しむ。
殺された方の遺族のほうはどうなんだろう。もちろん自分の最愛の子供が残忍な方法で殺された当時は心は死んだだろう。自分自身におきかえて考えたらそれは想像に容易い。私なら自殺してしまうだろう。

だが、事件から20年たった今も果たして当時と同じ気持ちなんだろうか。
やられたほうはずっと忘れないというが、私も20年以上前だが凄惨ないじめ被害にあったことがある。殺人事件の遺族と同列には語れないが、当時はつらく毎日が重く、自分が死ぬか、相手を殺すか。それでしかこの地獄からは抜けられないと思っていた。

しかし今はそんな憎しみは消えている。もう顔もよく覚えてないが、当時の加害者には会いたくはないな。もし昔のことを謝りたい、賠償金を払いますというなら、金だけ振り込んでもらう。その金がどのような手段で得た金だろうが構わない。たとえ強盗した金であったとしても。金に色はないからな。

この被害者の遺族は手記による金なら受け取らないが、きっちり働いて稼いだ金なら受け取るといったらしい。おそらくは加害者の謝罪したい気持ちが本物であると知っているからそう思うのかもしれない。
それは手記の出版は被害者が望まないことで、裏切り行為であると考えたからなのかもしれない。


一方加害者は冒頭で述べた通りどこか欠落した人間でいわば怪物であったろう。それならば人にはその考えを推し量ることはできない。

だが長い矯正期間を経て真人間になってシャバに出てきたと仮定するならば、その彼もいろいろと考え、結果、彼なりに事件について後悔の念を抱き、被害者遺族に対して、贖罪したいという気持ちが芽生えたのかも。

なにをしても許されないだろうが、その気持ちを伝えるためにはやはり金しかないと。
だが働いて得られる金など微々たるもので、自身にできることは経験をもとにした本を出版、印税をそれに充てることしかないと考えたのではないだろうか。自身の謝意を表すためにには金の多寡で表現するしかなく、今回の手記出版に至ったんじゃないか。確かにまっとうな方法で大金を得るには彼にとってはそれがもっとも近道だ。だが、彼には遺族の気持ちをそこまで推し量れなかった。無理もないだろう。

純粋にできるだけの賠償をしたいと考えていて、決して自身の金儲けという矮小な考えで出版に至ったとは考えにくい。そしてそれを断られ、彼もまた傷ついているかもしれない。
まあ、ここまではすべて想像でしかないが、そういう被害者加害者の心情など特に考慮せず、こんな悲惨な事件までもをビジネス化した出版会社は批判されても仕方ないな。

どんな理屈をこねたとしてもこれは倫理に反するとは思うが。犯罪を助長すると思われても仕方ないわ。
だって人殺ししてそれを本にしたら売ってくれるんでしょ?ってなるじゃない。

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