原発いじめで考えた

この問題はあまりにも作為的なイメージがあり、少し盛ってるんじゃないのか?とは思う。
ある児童はカバンに「学校にくるな、近づくな気持ち悪い」などと書かれたメモをいれられたりしたと。
また、ある児童は避難者とばらすと脅され金をとられたとか。
ここまでの事実がほんとうにあったのか?いくらいじめっこでも彼らなりの最低限のモラルはあるぞ?
これ以上はだめって線引きをしつついじめてるとは思うが。
ちょっと疑わしいと感じるのは私だけだろうか。
報道したのはあの反原発を社論とする朝日新聞を筆頭とするマスコミ各社だが、なにか被害者を利用した、いわゆる被災者ビジネスに近いような後ろ暗さを抱かざるえをえない。

しかしだ、それがそこまでひどいものではなかったかもしれないが、いじめという実態はあったのだろう。
この世界にあるその存在自体を否定するものではない。
なぜならいじめはこれはもうなくすことはできないからだ。
どんなに重い罰を与えようがなくならないだろう。

だから交通事故に遭うことと同義であり、誰もがその被害に遭う可能性があるのだ。
私は今はわが子にもその被害が降りかからぬよう願い、備えるときだと考えている。

昨日、会社からの帰り道、家の近くのファミレスの裏手で、いじめを目撃した。
ひとりの少年が三人の少年におさえられ、たたかれたり服を脱がされそうになっていたりしていた。
年のころは小学校高学年であったろうか。
大人として止めるべきなのか判断に迷った。
しかし、逆恨みされ、わが子になにかよからぬ被害が及ぶとも限らないとも考え素通りしてしまった。

その子はおそらく昨日はあのあと何事もなく家に帰り夕飯を食べるだろう。
親もその事実を知らされず、日常を過ごすだろう。
そう考えるととてもやるせない、悲しい気持ちになった。
願わくば彼には強さを身につけてほしい。戦う強さでも逃げる強さでも。耐える強さでも。
私もいじめられていた経験はある。そのときは誰も助けてくれなかった。
親もおそらくは気づいていただろうが、人のいい親はもめごとを避けるため見て見ぬふりをしていたと思う。
教師は話にならなかった。なんと私を脅し殴り、黙殺したのだ。

当時の私は逃げることもできず、ただ耐えるだけだった。
誰かに相談できる相手でもいればよかったのだが、自分がそれを許さなかった。
事実心配して声をかけてくれる友達もいたが、いじめられているという事実を認めるのが恥ずかしくて、
小さなプライドを保つためにいじめられてなんかないと、助けを求めることもせず、
当時はただただ耐えるだけに終始していたのだ。

今はまだ小さいが、わが子には日々伝えている。
辛いことがあったらなんでもいえよ?必ず助けてあげるからな。と。
もしも将来そういう辛い憂き目にあったとき、隠さず言ってほしいから。
そしてももしそのときがきたら全力で助けようと思っている。

スポンサーリンク







シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする