8月12日の午後6時半ごろ、羽田空港発大阪伊丹空港行、ANA37便が、機内の気圧低下により、羽田空港に引き返し緊急着陸したという事件は既に周知されているが、それについて、1985年に長野県御巣鷹山に墜落したあのJAL123便の事故といくつか符合する点があることから、恐ろしい憶測がネット上で話題になっている。
まず、当時の機内の様子が乗客により既にYOUTUBEにあげられているが・・
ANA37便が羽田空港に引き返して緊急着陸 機内の様子
あの酸素マスクが落ちてくるなんてのは、かなり怖かったんじゃなかろうか。
乗客によると客室乗務員の声も震えていたとのことで、かなり緊迫した状況であったことが窺える。
今回のANA37便とJAL123便の奇妙な一致
・JAL123便
1985年8月12日
定刻 18:00羽田発 伊丹到着18:56予定
18:12 離陸
18:24 衝撃音、与圧異常、スコーク77
相模湾上空を上昇中、23,900ftを通過したところで緊急事態が発生
15,400ft (約4600m) 緊急降下
・ANA37便
2017年8月12日
定刻 18:00羽田発 伊丹到着19:10予定
18:24離陸 Twitterにてこのときパンと衝撃音がしたとの報告あり
18:29前後に緊急事態発生? 与圧異常、スコーク77
相模湾上空を上昇中、16,000ftあたりを通過したところで緊急事態が発生か?
およそ 5,000ft 緊急降下
18:50前後? 羽田緊急着陸
※スコーク77とは緊急事態を意味する。
同じ羽田発
同じ大阪伊丹行き
同じ日、同じ時間帯に出発
同じ相模湾上空での異常を検知
怖すぎる・・
陰謀論
このJAL123便の墜落の翌月にプラザ合意があった。
このプラザ合意というのは、アメリカが対日貿易赤字を是正するために推し進めていた為替レートに関する金融政策で、この合意をきっかけとして日本は現在まで続く平成不況に陥っている。
この123便には、政策に反対していた関西財界の大物4名が搭乗しており、アメリカがこの4名を暗殺するために123便を攻撃したとも言われている。
ちなみにこのプラザ合意というのはイギリスのプラザホテルで行われた会談であるが、それは事前にすでに合意されており、会談自体は20分で終了したというのも有名な話だ。
今回のこのANA37便は事なきを得たが、その裏では一体なにが起きたのか。
朝鮮半島有事の際の難民受け入れや、弾道ミサイル迎撃システムTHAADを導入することで米国と合意したという話もがあるが、果たして真相は。
ちなみに昭和33年年8月12日にも伊豆下田沖でANAのDC3が墜落している。
これらをうけ、ひとつの結論としてだが、8月12日には飛行機には乗るべきではないのかもしれないということは言えなくはない。